林遊船スピンオフ企画【小説マコガレイ】
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投稿日付:16/01/22 15:48
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竿先がかすかに動いたーーような気がした。
男は水面に揺れる竿先を(これで何度目だろうか)じっと凝視した。
もちろん、変化はない。
波の動きに合わせてゆらゆらと揺れているだけ。それ以下でもそれ以上でもない。
十年以上釣りなんてしていなかったのに、何を思い立ったのか急に釣りがしたくなったのはどういう理由からなのか、自分でもよくわからない。
インターネットで検索して一番最初にヒットした船宿に乗船予約を入れると、あわてて身支度を整えたのが昨夜のことだ。
道具はとうの昔に処分してしまっていたが、幸い船宿でレンタルできるとのことだったので全てお任せすることにした。
昨夜は子供のように興奮して寝付けなかった。
真冬のマコガレイ釣り。
釣り自体、経験が多いわけではない。ことさらマコガレイは初めてだ。
アジ釣りやハゼ釣りはしたことがあった。なかなか忙しい釣りで、アタリがひっきりなしにあった記憶がある。
みるみるうちにバケツがいっぱいになり、「帰ってからどうしたらいいのか」と考えたことさえ覚えている。
車の鍵をどこに置いたかとか、昨日の昼飯がなんだったかというような記憶は曖昧なくせに、昔のことはまるで今さっき起きたことのように鮮明に覚えているから不思議なものだ。
竿先に変化はーーない。
出船してからかれこれ3時間ほど経つが、一向になんの変化もない。
船には自分を含めて4人の乗客が乗っているが、誰かが釣れたという気配もない。
粛々と時間だけが過ぎ去ってゆく。
こんな釣りがあるのか、と思う。
仕掛けを投げ入れたらあとはひたすらじっと待つだけ。
たまに仕掛けを回収してもエサはそのまま、魚にかじられた形跡もない。
まるで水たまりで魚を釣っているかのようだ。
記憶にあるアジ釣りやハゼ釣りとは程遠い釣りに、疑心暗鬼だけがどんどん膨らんでいく。
常連らしい人はカレイ釣りはこんなもんだ、と嘯いている。釣れないことも多いらしい。それどころかアタリすらないことも多々あるという。
そんな馬鹿な、と思う。
海の中が見えないのをいい事に、魚がいない場所で釣っているだけなのではないか。
魚がいるならエサに寄ってきて釣れるはずだ。魚がいるのに釣れないという理屈は通じないはずだ。
本当は向こうの沖の方がポイントなのではないか。何らかの理由から全員船長に騙されているだけなのではないか。
だって明らかにおかしいではないーー
竿先が明らかにーー動いた。
ような気がした。
波の揺れとは違ったような気がしたが、確実にそうと言える根拠はない。
なにしろ今までアタリなど一回もないのだ。アタリを見たことがない以上、これがアタリだと断言するのは不可能だ。
そもそも自分は魚がいないとさえ思っていたのではなかったか。
魚がいないと思っているのにアタリかもと一喜一憂する自分がおかしく思え、それを悟られないよう、平常心を心掛けようとしている自分が尚更おかしく感じられた。
空には見事な晴れ間が広がっている。
1月も終わりだというのに上着が要らないほどの陽気だ。実際、防寒着を脱いでいる乗客も多い。
竿先がキラキラと陽光の中でひかり輝き、水面は静まり返ったままだ。
マコガレイ釣りは不思議な釣りだ。
出船前に船長からレクチャーされたことによると、アタリがあっても3分から5分は合わせてはいけないらしい。
なんでもマコガレイは口の中が硬いため、アタリがあった直後に合わせると針掛かりせず、針がすっぽ抜ける恐れがあるのだそうだ。
だからじっくり待って針ごとエサを飲みこませ、確実に釣りあげるようにして下さい、そう説明された。
また竿先が動いた。
後ろの方が騒がしい。船長が慌ただしく動いたと思ったら、後ろで一枚あがったよー!と声がかかった。
魚はいたーーらしい。
だとすれば、やはりこれがアタリなのか。
最初のアタリ(かどうかは未だになんとも言えないが)から何分経っただろうか。
1分程度の気もするし、もう5分以上待っている気もする。
釣り初めてからあっという間に3時間経過したくせに、待っている1分のなんと長いことか。
心臓が急にバクバクいいはじめた。
手のひらにじっとり汗がにじむ。
なんだこれは。
もしかして緊張しているのか。たかが釣りに?
竿先を凝視する。
というより竿先から視線を離すことができない。
3分は経ったのか。まだか。
竿先は動くのを止めている。
船長に聞いたところによれば、最初のアタリがあった後、ぴたりとアタリが止まることがあるという。
カレイは動き回る魚ではないので、エサを食べたままじっとその場で動かず、アタリが続かないことがあるのだそうだ。
いるのか。
それともいないのか。
今度は左のトモで1枚出たよー!と声が飛ぶ。大きいよー!みんなも頑張ってー!
竿尻に手を伸ばしーー引っ込める。
5分はまだか。
気のせいか手が震えていたように見えた。
釣りたい。絶対に釣りたい。心がそう告げている。
心臓の音が五月蝿い。
もはや竿先しか見えなくなっている。
竿先がバタバタと動いた。
私はゆっくり竿を手に取ると、深呼吸をひとつした後、大きく聞き合わせたーー。
(了)
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